ミトコンドリアゲノムからみたシーラカンス 2 種の進化史
井上 潤 (東大海洋研)・宮 正樹 (千葉中央博)・
ベンカテッシュ ビラッパ (分子細胞生物学研究所)・西田 睦 (東大海洋研)


インドネシア・シーラカンスはどこから来たのか

1998年にインドネシア・スラウェシ島沖合から発見されたシーラカンスは,その由来について研究者を悩ませた.今となっては Latimeria menadoensis (ラティメリア・メナドエンシス)という学名が付けられてはいるものの,インドネシア・シーラカンスはコモロ諸島付近に生息するシーラカンス L. chalumnae (ラティメリア・カルムナエ) にあまりに似ていたため,コモロ諸島から迷い出たシーラカンスなのではないかと疑われたのである.しかしシーラカンスは岩礁域という限られた環境でしか生きられず,しかも泳ぎが下手なことでも有名で,コモロ〜インドネシア間の 1 万 km を超える過酷な旅に耐えられるとは考えられなかった.





2 種の分岐は 3 千 5 百万年前

我々の研究チームはインドネシア・シーラカンスのミトコンドリアゲノム全長配列を決定し,コモロ・シーラカンスを含めた魚類 27 種のデータと合わせて解析を行い,シーラカンス 2 種が分化した年代を推定した (古代魚の分岐年代推定を参照).するとシーラカンス 2 種の分岐年代は,ほぼ 3 千 5 百万年前と推定され,少なくとも漸新世には 2 種が分岐していたと示唆されたのである.それでは,シーラカンス 2 種の分化は何が引き金となって生じたのだろうか.



シーラカンス 2 種の分化を引き起こした地史的要因は ? 


インド亜大陸が北上し始める白亜紀前期 (1 億 2 千万年前) にシーラカンスの祖先種はインド洋の沿岸全体に分布していたとされているので,その種分化の原因には 3 つの仮説が考えられる.


 第一に 2 種の間で現在でも遺伝的交流があるという前述の仮説が挙げられる (図 A).二番目は,オーストラリア大陸とユーラシア大陸の接近に伴うインド・オーストラリア島弧の成立 (1 千万年前) によってシーラカンス 2 種が分化したとする仮説である (図 B).我々の解析によると 1 千万年前には 2 種は完全に分化しているので,これらの仮説は候補からはずして良さそうだ.


 第三の仮説は,インド亜大陸とユーラシア大陸の衝突 (5 千万年前) がシーラカンスの祖先集団を地理的に分断し,インド亜大陸を挟んでシーラカンス 2 種の分化を引き起こしたとする仮説である (図 C).ユーラシア大陸へのインド亜大陸の衝突は,ヒマラヤ山脈と多くの大河を形成した.アメリカ・スミソニアン博物館のスプリンガー博士 (Dr. Victor G. Springer) は,インド亜大陸の沿岸域に流れ出る大河はインドとユーラシア大陸の衝突から数百年万年後に大量の堆積物を生じて,かつてインド洋全域に存在したと考えられるシーラカンスの生息域を破壊したため,シーラカンスの祖先集団がインド亜大陸を挟んで分岐したと考えていた.我々が行ったミトコンドリアゲノムの解析によると 2 種の分岐年代 (3 千 5 百万年前) は,インド・ユーラシア両大陸の衝突から 1 千 5 百万年後となり,スプリンガー博士の仮説と見事に一致したのである.



シーラカンスは形が変わりにくい

シーラカンス 2 種は,鱗表面の色彩が違う以外はそっくりである.哺乳類に目を向けると,シーラカンス 2 種の分岐が生じた時期にはヒゲクジラ類とハクジラ類 (2 千 7 百万年前) および新世界猿とヒト (3 千 5 百万年前) がそれぞれ分岐している.同程度の時間が費やされたにもかかわらず,クジラ類や霊長類とは異なりシーラカンスではほとんど形態的な変化が生じなかったのである.



Inoue, J. G., Miya, M., Venkatesh, B., Nishida, M. 2005. The mitochondrial genome of Indonesian coelacanth Latimeria menadoensis (Sarcopterygii: Coelacanthiformes) and divergence time estimation between the two coelacanths. Gene 349, 227−235. [PubMed]

[2005/4/29] この研究はナショナルジオグラフィクス誌で紹介されました.